公開にあたっては、事前にイエス教メソジスト教会に照会し、「同文書がイエス教メソジスト教会の現在も不変の立場であること」「公開謝罪文であるゆえ日本で公開してかまわないこと」の二点を、確認した。
以下は、この文書の末尾に記された「結論部分」である。
「以上のような経緯を総合判断すると、チェジンバク氏は、計画的に本教団へ浸透しソジンソク氏を採り入れ、ソジンソク氏は、統一教会幹部である張在亨氏により、ジェジンバク氏と共に統一教会で成和神学校を移転する陰謀を終えて、チェジンバク氏はその姿を消しました。そして、ソジンソク氏は、成和大学校の理事長で、張在亨氏は、同大学校の学生処長で、本日に至ることから見ると、統一教会が計画的に聖化神学校を自分たちの手に入れる計画であったと推測できます」
この文書により、「張氏統一教会前歴疑惑」は、ほぼ確証されたと言うことができる。
「韓国の教会へ捧げる公開謝罪文」
統一教会成和大学の問題の真相と本教団の立場を表明しながら
神様の恵みが韓国の教会と一千万聖徒たちへ充満になることを祈ります。
本教団と足りない自分の現在の法律に対する無知と経済的な貧困と判断不足により、文鮮明集団の狡猾な奸計によって、本教団の聖化神学校が成和神学校に変わり、最後には成和大学校まで認可されるまでの事について、本教団と私は、神様と韓国教会の前に悔い改めと謝罪しながら、自分と良心の命令に従って、その真相を隠さないで表明します。
この間、この問題に対して数回に渡って、謝罪文とその真相を表明してきましたが、統一教会の成和大学の政府の認可を受けた現時点では、もっと詳しく正確な真相を明らかにし、文鮮明集団の奸計についてもう一度、警戒心を起こし、他教団と教会指導者が本教団のような被害が、再び起きないことを願いながらこの真相を明らかにすることです。
記
1.学校設立の背景と進行過程
(1)第5期の共和国(韓国)のはじめの前後に「無認可神学校一体整備」という政策が推進される過程で、韓国教会は1教団1神学校認可を要請するようになり、本教団が申請した聖化神学校が各種学校の仮認可を受けるように成りました。(学力の認定はなし)
(2)本神学校の認可は1982年4月30日に文部省から同年9月30日まで許可規定に合う学校施設を完備し、本認可を受け、その後、学生募集をすることと学校法人を設立することでしたが、規定の中に1億2千万ウォンが預金された神学校名義の預金残高証明が必要でありました。
当時 理事長 朴ユンファン牧師は牧師としてそのような財力が無かったので、本教団の数人から負債を受け1億2千万ウォンを預金し、必要な書類を添付し学校法人設立許可を間に合わせました。
(3)その後、本教団からは神学校を設立するため、積極的に募金運動を展開し、私たちの教団と関係を結んだアメリカ改革メソジスト宣教部に資金要求をしましたが、宣教部の事情により、宣教費は来なくなりました。
(4)当時、建築に必要な資金は、約20億ウォン程度でしたが、募金は非常に少なくて法定期間内に施設を準備することはできないため、1次延期申請書を提出し、文部省から1年間(1983.9.30まで)延期してもらいました。
(5)その後、理事長 朴ユヌァン牧師が辞任し、事業家 ミンクァンシク執事が理事長として就任した後、日本から借款を導入し、本神学校の敷地に神学校と病院を共に設立し、病院の収益で学校を運用するようにしたのですが、実現できないまま理事長職を辞任されました。ですので、本教団からは文部省へ2次延期申請書を提出し、1984.9.30まで延期されました。
2.ソジンソク氏(現成和大学理事長)との関係
(1)ソジンソク氏は、チェジンバク牧師から1984年4月頃紹介されました。
(2) チェジンバク牧師は、1982.5.18本教団へ加入し(牧師按手は、ハンドンフン牧師系列から受ける)メソジスト神学校を1979.12月に卒業した人です。
(3)彼は、本教団加入同時「ソンドンク ヘンダンドン118-5」でモクミン教会を開拓し、担任師ながら、「韓国幼児宣教会」を設立し、会長と成り、相当活動的で、献身的な姿を見せ、本教団の教役者から信用されるようになりました。
(4)神学校建築が難しさの中にいる時(2次延期後)チェジンバク氏は、自分から神学校のために献身的に奉仕するということで、学校建築のために積極的に働こうとしていました。
(5)その後、チェジンバク氏が学校建築を助ける良い人としてソジンソク氏を紹介し、ソジンソク氏は、ボリムサンオブ株式会社の代表取締役で、ソウル地方法廷の調停委員の一人で、貿易協会の審査委員でもあり、相当の財力と徳望がある人で義なる事業に関心があるといわれています。
(6)ソ氏は、忠清道出身で、本神学校が苦労をしていることで、自分か学校の建物を建築してあげる代わりに、神学科は本教団が運用し牧会者を養成し、一般学科を増設したら自分が運用し、老年に意味ある事業を共にしたいことでした。本教団では、学校建築と認可が出た後この問題について協議することにし、まずは、学校建築をすることにしました。
(7)その後、ソ氏は、学校法人理事会である大学校教授というバクチャンバル、イキオクの二人を理事に入れてくださるように要求があり、本教団は、合意的に慰問もなく、1984.4.28に受け入れて理事選任をしました。
(8)ソジンソク氏の願いに対してある機関を通して調べてみましたが、疑いの余地が無い良い事業家として信じました。
(9)チェジンバク氏は、ソジンソク氏代理人として送った張在亨氏と(当時、ボリムサンオブ株式会社の専務)共に学校建築を急ぎました。
(10)この後、ソ氏側では学校設立者であるシン牧師だけ理事で残し理事は全員辞任して下さる様に要求したが、本教団は、これを堅く断りました。
(11)ソ氏側は、継続的に本教団で理事交代を要求しながら、変わりに学校建築代金を払うことでした。本教団が応じないので、建築工事を中断し、時間を延ばすことで、心理的な圧迫を加えることで2次延期の満期日に近づいてくる緊張感がつつきました。文部省に3次延期が可能であるかを調べた結果、不可能であることで、学校建築や本認可の取得をあきらめる状態で、挫折感に落ちてしまいました。
(12)理事問題で、ソ氏側は、本教団が時間を流している間、1984年12月初旬、張在亨氏とチェジンバク氏は、本教団に連絡も無く、木を切ったり、土木工事を進めたりしていたので、私たちは現地で居住している他人から電話連絡を受けて知りました。(その後、土木工事、建築工事、委任契約書を作って来ました。)
(13)それで、一方では土木工事をしながら、組立式仮建物200坪を建築したのですが、墳墓13個が発見されるほか、不発された爆弾や岩盤があり、工事を続けることが出来ないということでした。(チェジンバク氏の手紙から)
(14)その後、任時で建築された仮建物で、文部省へ認可を申請し、文部省関係者が現地検査をした後、1985.1.12本認可申請書を取り戻され、「仮認可効力喪失」という認可取り消し通事が来ました。
3.学校法人が移転された過程
(1)本認可を申請が戻されたことや認可取り消し通事は、事実学校設立は、もはや終わったと断念するようになりました。これは、学校法に対してほとんど無知の状況であり、経済的に難しいことからの神経戦で疲れきったからです。雄一の望みであった「仮認可」が取り消しとなってから失望と挫折の中に落ちていました。「仮認可」(1982.4.30)を受け取ってから「認可の取り消し」(1985.1.12)まで3年近い間神学校建築は教団の地上課題で、本教団のすべての資源を投入し、全力を尽くしましたが、その結果は、泡のようになり、羞恥心が襲いました。
(2)私たちは、静かに学校法人を解散しようと調べて見ましたが、これも、簡単な問題ではありませんでした。それは、法人に属した財産は、文部省を通してある機関へ献納しなくてはいけないということでした。学校の敷地はあるものですので、献納するとしても、教会のメンバーたちの債務で預金した1億2千万ウォンとソ氏側が始工した土木工事や仮建物代金を支払う道が無かったのです。
(3)また、ソ氏側は、工事費を支払うように督促しながら、告訴すると脅迫することでした。
(4)その中で、ソジンソク氏は、チェジンバク氏を通して、学校法人理事長を自分に渡してくれれば、学校敷地代金として2億4千万ウォンを支払うと提案してきました。
(5)本教団委員や総会実行委員会、神学校運用理事の連続会議で、対策を熟議した後、本教団では、これ以上学校建築する能力が無く、その可能性も見えないことと、ソジンソク氏が堅実な事業家であることを信頼し、学校仮認可が取り消された法人自体は、無意味であることで判断され、ソジンソク氏の提案を受け取ることとなり、1985.6.4に、理事長職を渡し、同年7月20日敷地代金2億4千万ウォンを受け取り、公金として処理し、本人の(シン牧師)理事職を辞任してしまいました。
4.統一教会の計謀と文教当方の共謀の疑惑
(1)学校法人が移行される過程でソジンソク氏を本教団に紹介したチェジンバク氏は、その後、その姿を消しました。成和大学の認可問題で、彼に疑惑が起き、彼の居住場所を探問した結果、彼の居住地をその間、10回以上移り、特に、家族と居住を別にすることも発見され、意図的に逃避していると思われました。
(2)ソジンソク氏の代理人として、今まですべてのことを前に立って行った張在亨氏は、統一教会の核心信徒で、統一教会学院団体の、「国際基督学生連合会」の事務局長になり(82.3-84.12)成和学院の事務局長にも(85.11-86.2)成りました。成和神学校の企画室長(87.3-87.5)、そして、成和大学学生処長(現在)であることが明らかになりました。
(3)本教団は、1986.3に日間新聞で、成和神学校学生募集広告が報道され、驚愕を隠せないで、すぐ、文部省長官へ抗議書を送ったことがあります。
(4)これに対して文教当方は、1986.9.8に返信した中で、85.1.12認可申請書を伴侶し、85.2.25にもう一度認可申請書を申し込み、次のように報道しました。(85.5.3の資料)
・ 86.3.1. 開校に必要な施設を完備し
・ 85.10.30.まで学校設立の認可の申請書を提出する。
それで、成和学院は、施設を完備し、申請書を提出したので、文部省は、85.12.27.に設立認可をしたということでした。
(5)この返信によりますと、85.2.25に本教団では、文部省に設立認可の申請書を提出した事がなく、また、文部省から開校に必要な施設指示を受けたことがありません。
(6)チェジンバク氏は、チョナンに学校敷地の土木工事申請など、色々提出する書類に学校直印と印章が必要でありますから、距離上頻繁に来ることが難しいので、印章を借りるように要請したので、数日使用した後、戻したことがあります。
(7)本教団で、保管していた、神学校の理事会録を始め、数枚の書類が無くなった事実を1988年1月ごろ発見され、管轄の交番へ申告したことがあります。
終わりに
本教団の聖化神学校を統一教会成和神学校に変形し、認可されたのは、文部省当方関係者の錯誤であるか、意図的な共謀行為であるとしかありません。もし、錯誤であれば、今でも現状復帰しなくてはいけませんし、意図的な共謀であれば、担当者を厳重に問責すべきであります。
さらに、正当でない方法で認可された成和神学校—成和大学校をその認可が取り消されることが正しいことであります。
以上のような経緯を総合判断すると、チェジンバク氏は、計画的に本教団へ浸透しソジンソク氏(イジェソク氏と同行人)を採り入れ、ソジンソク氏は、統一教会幹部である張在亨氏により、ジェジンバク氏と共に統一教会で成和神学校を移転する陰謀を終えて、チェジンバク氏はその姿を消しました。そして、ソジンソク氏は、成和大学校の理事長で、張在亨氏は、同大学校の学生処長で、本日に至ることから見ると、統一教会が計画的に聖化神学校を自分たちの手に入れる計画であったと推測できます。
本教団は、今弁護人団と相談し、この問題に対して法的な判決に任せる予定です。今、全国教会は本教団の監督が不十分であったことと法律的な常識に未熟であることから統一教会から利用された事実に対して寛大な赦しを求めます。韓国の教会が一致団結して、文鮮明集団と戦うことに先頭に立つことを表明します。
以上
1989.12.18
イエス教大韓メソジスト会 監督 パクウソン
メソジスト神学校 前校長 シンシンムク
以下は、上記「公開謝罪文」の要旨をまとめたものである。
大韓民国政府は、全国の無認可神学校を整理して、一教団に一神学校のみ認める決定をした。
これに対し、大韓イエス教監理会(イエス・メソジスト)教団は、文部省に「仮認可申請」を提出して、「聖化神学校」の建設計画を立案し、保証金1億2千万ウォンと敷地を用意した。
当初、募金と借金で病院と神学校を建設し、病院経営の収益を借金返済に充てる予定であったが、計画は頓挫した。
そこで、同教団モクミン教会のチェジンバク牧師の紹介で支援を申し出たボリムサンオブ株式会社代表取締役のソジンソク氏が、(1)自分が費用を出して神学校の建物を建設すること、(2)一般科と神学科を併設し、自分が一般科を経営し、教団が神学科を経営すること、(3)バクチャンバル氏とイキオク氏を学校法人理事会に加えること、を提案した。
教団は上記提案を了承し、ソジンソク氏代理人であるボリムサンオブ株式会社専務の張在亨氏が、神学校の建設に着手した。
ところが、ソジンソク氏は、バクチャンバル氏とイキオク氏を除く学校法人理事会の全員に辞任を求め、かつ、建設代金を支払うよう要求し、支払わなければ告訴すると脅迫して、工事を中断した。
神学校の建設が「仮認可申請」の期限内に間に合わずに「認可取消」となった場合、教団は保証金と敷地を公的機関に納付し、かつ、募金を返済しなければならなかったため、窮地に追い込まれた。
この時、ソジンソク氏は、「学校法人理事長を自分に渡してくれれば、敷地を2億4千万ウォンで買う」と提案して来た。
1985年1月12日に文部省から「認可取消」が通知されたので、教団は同年6月4日に学校法人理事長の職をソジンソク氏に渡し、同年7月20日に敷地を2億4千ウォンで売却した。
ところが1986年3月に、日刊新聞に「成和神学校生徒募集広告」が掲載されたので、驚愕した教団が文部省に抗議書を送付すると、文部省からは、1985年2月25日付で教団から再度認可申請があり、許可条件となる建物が整ったため、同年12月27日付で設立を許可した、との返答があった。しかし、教団には、1985年2月25日に文部省に認可申請を行った事実がない。教団は、土木工事申請等に必要な公印をチェジンバク牧師に預けていたことがあったが、敷地売却後、チェジンバク牧師は姿を消した。その後、ソジンソク氏は、成和大学の学長となり、張在亨氏は成和大学の事務局長、企画室長、学生処長となった。1988年には、学校法人理事会の議事録が盗まれていることが判明し、教団は警察に盗難届を提出した。
教団は、韓国教界に対する説明責任を果たすため、1989年12月18日付で、監督名及び前校長名にて「公開謝罪文」を発行し、その結論部分で、次のように述べている。
「以上のような経緯を総合判断すると、チェジンバク氏は、計画的に本教団へ浸透し、ソジンソク氏を採り入れ、ソジンソク氏は、統一教会幹部である張在亨氏により、チェジンバク氏と共に統一教会に成和神学校を移転する陰謀を終えて、チェジンバク氏はその姿を消した。そして、ソジンソク氏は、成和大学校の理事長、張在亨氏は同大学校の学生処長で、今日に至ることから見ると、統一教会が計画的に聖化神学校を自分たちの手に入れる計画であったと推測できる」